羞恥心と共に…
羞恥心。一世を風靡し、現在活動休止中。その奇跡の軌跡に迫る。
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羞恥心の上地雄輔
上地 雄輔(かみじ ゆうすけ、1979年(昭和54年)4月18日 - )は、日本の俳優、タレント、歌手。歌手グループ「羞恥心」の「心」・アラジンのメンバー。神奈川県横須賀市浦賀出身。身長178cm、体重67kg。所属事務所はジャパン・ミュージックエンターテインメント。愛称は「ゆうちゃん」、「ゆうにい」「心」(羞恥心の「心」より。)、「上地君」「かみちゃん」「ユースケ」など多数。 来歴 1979年4月18日、神奈川県横須賀市で長男として誕生。六歳から野球を始め、小中学時代に日本選抜に選ばれ野球の世界大会に出場。中学時代でも軟式野球クラブチームの横須賀スターズでキャプテンを務める。中学三年生時には、所属チームは全国大会出場、関東大会優勝を果たした。高校は私立横浜高等学校に進学。在学時は硬式野球部に所属し、捕手のポジションを務めた。その1年後輩に松坂大輔(現ボストンレッドソックス)がおり、松坂が入部して最初にバッテリーを組んでいた。2年生から背番号2を背負ったが、2年夏の甲子園予選の試合中に右肘の神経を断裂したため正捕手の座を1年後輩の小山良男(現中日ドラゴンズ)に譲った(後述1)。 複数の大学から推薦入学の誘いを受けていたが、芸能界のスカウトを受け、俳優としての道を志す。1999年にTBS系の連続ドラマ『L×I×V×E』でデビュー。2005年には、得意分野である野球を主としたドラマ『アストロ球団』に出演。その後も端役ながら数々のドラマや映画に出演し、活躍する。 俳優としての道を進む一方で、2007年6月、『スリルな夜』『子育ての天才』の撮影時に普段の面白さをスタッフに見初められ、番組宣伝もかねてフジテレビ系列のクイズバラエティ番組『クイズ!ヘキサゴンII』にゲスト出演した結果、珍解答を連発。その後レギュラー解答者となり、のちの『アラジン』のメンバーであるつるの剛士・野久保直樹・里田まい・木下優樹菜・スザンヌ共に『おバカキャラ』として一躍名が知られるようになる。また、2008年4月には、同時期に出演していたつるの・野久保とともに『羞恥心』というユニットを結成し、歌手デビューも果たした(「後述2」)。 バラエティー番組の影響からかお馬鹿な一面を強調されることが多いが、底抜けの明るさやで自由で真っ直ぐな一面からも老若男女問わず支持を集め、2008年6月4日には自身のブログ『神児遊助』が「世界で最も1日の閲覧ユニークユーザー(重複しない人)数が多いブログ」(1日23万人観覧)としてギネスブックに認定された[1]。 本人が「役者志向」と語るように、バラエティー番組に出演する傍らで俳優活動も変わらず着々と進め、2008年4月、ドラマ『ROOKIES』では普段のキャラクターとは全く違う人物を演じ注目を浴びた。また、同年10月には『セレブと貧乏太郎』にて上戸彩と共に自身初の主演を務め、同時期放送の『スクラップ・ティーチャー〜教師再生〜』でも準主役で出演するなど、俳優としても活動の場を広げている。 [編集] 人物 * 『クイズ!ヘキサゴンII』では「かみじ」が誤読されやすいためか、字幕スーパーでは漢字の上に振り仮名が付けられている時期があった。父方の祖父が沖縄県宮古島生まれであり、「上地」姓もここに由来する。当地では通例「うえち」と読む苗字であるが、父方の祖父が読み方を「うえち」から「かみじ」に改名した[2]。 * 本人によるブログ『神児遊助』が非常に好評であり、テレビ内でブログ王子と紹介される事も多い。 * 同じく本人による著書、「上地雄輔物語」は、タレント関連書籍の初動売り上げの新記録を樹立している。 * 両利きであり、字を書いたりハサミを持つ手は右手で、一部のスポーツや箸を持つ手は左手である[2]。 [編集] ブログ 始めは事務所に無理やりやらされていたが、やり始めると夢中になり、誕生日の際にはコメント数が5万件・アクセス数が1300万件を超えた。 2008年2月6日に開催された『BLOG of the year 2007』では特別賞を受賞。この時は仕事の関係により授賞式には出席できず、ビデオメッセージを寄せた。その後、同年4月12日に上地のブログを閲覧したユニークユーザー(重複しない人)数が24時間換算で23万755人となり、同年6月4日に「世界で最も1日の閲覧ユニークユーザー数が多いブログ」としてギネス・ワールド・レコーズに認定された[1]。 [編集] 家族 両親が共働きだったため、上地は自他共に認めるおじいちゃんっ子と自称している。 実父は横須賀市議会議員の上地克明(無所属・昭和62年初当選・現在6期目)。公式サイトの中の日記においても本人とのやり取りについて度々綴られている[3]。母親は元キャビンアテンダント。また、弟が1人いるが、一般人ということもありほとんど公表されていない。 上地が小学生の頃父親に言われた「これからは良い事をされたら100倍にして返せ!その代わり嫌な事をされたら100分の1にして返せ。」という言葉は、長い月日が経ってもブログ等に登場しており、上地の心の内に強く残っている。 [編集] 野球 少年時代の夢はプロ野球選手だった。 1991年(小学生時代)、1994年(中学生時代)と、全日本選抜メンバーとして世界大会に出場。小学生時代はキャプテンとしてチームをまとめ、 4番を張る。中学時代でも軟式野球クラブチームの横須賀スターズでキャプテンを務める。また、中学三年生の年、所属チームは全国大会出場、関東大会優勝を果たした。ちなみに、横須賀スターズでの練習、試合、自主練習などに専念するべく、中学では形だけ理科部に所属した。 中学時代に計38校からスカウトを受け、名門私立横浜高等学校に進学。在学時は硬式野球部に所属し、捕手のポジションを務めた。その1年後輩に松坂大輔(ボストンレッドソックス)がおり、松坂が入部して最初にバッテリーを組んでいたのが上地だった。2年生から背番号2を背負ったが、2年夏の甲子園予選の試合中に右肘の神経を断裂したため正捕手の座を1年後輩の小山良男(現中日ドラゴンズブルペン捕手)に譲った。したがって甲子園にはベンチ入りも認められなかった。 右腕の神経を断裂した際、監督や家族にも言わず、回復していると嘘をつき数え切れないほどの病院を五ヶ月間一人で渡り歩いたが、回復の兆しはなく、部屋で一人泣く日もあったという。しかし、泣いていたのを見つかり全てを明かし、その翌日枕元に置いてあった母親からの手紙の最後の三行に、「降り止まない雨はないんだよ」「出口がないトンネルはないんだよ」「今が最低だと思うなら、これ以上の最低はないんだよ」と記述してあり心打たれたという。それを読んだ上地は、「夢に向かって日々努力できないなら死んだほうがましだ」と書いた紙を壁に貼り、両親らと病院をしらみつぶしに探した。そして、治る可能性は五分五分という手術を迷わず受け、リハビリを経てなんとか大会に間に合わせた。ちなみに甲子園にはベンチ入りもしていない。 高校卒業前も複数の大学から推薦入学の誘いを受けたが断り芸能界に入った。また、野球を止めた理由として怪我を強調される場面もあるが、本人は、「怪我が治って直ぐの大会で以前と変わらない2番で出場だと言い渡された時、喜びより安心感が大きかった自分に絶望した」という理由を挙げている。「いつの間にか好きと言う気持ちを焦りと義務感が上回り、大切なものを見失ってしまっていた」とも語っている。 2008年1月19日に行われた松坂軍団対茨城ゴールデンゴールズ(横浜スタジアム)では松坂チーム・SAMURAIとして途中出場。打撃では最初の打席でツーランホームランを放ち、その後決勝犠飛を放って3打点の活躍をあげた。守備では11年ぶりに松坂とバッテリーを組んだ。試合は松坂軍団が7対5で勝利し、上地はMVPに選ばれた。 阪神ファンであり、1985年(当時6歳)に阪神が優勝したのを見て感動し、自らも野球をやることを決意したという[4]。ちなみに弟は巨人ファンでポジションはピッチャーだった[2]。また、既に故人となっている祖父の1人はかつて、社会人野球で鳴らしたプレイヤーと「上地雄輔物語」で語っている事から、野球とは縁があった模様。 [編集] 交遊録 * 明石家さんま 本人が高校2年のとき、さんまが横浜高校野球部にジュースの差し入れをした[5]際、1人で直接礼を言いにいった上地に対し、さんまが「おまえ面白いから芸能界入れ」と薦めた。尚、さんまは自身が上地を芸能界に入れたとよく語っているが、この出来事は上地の芸能界入りのちょっとしたきっかけとなった[2]ものの、これが直接の動機であったわけではない[6]。 * 小泉孝太郎 昔なじみで、デビュー前からの友人である。ドラマ『狂った果実2002』で初共演を果たし、2007年秋から小泉がメインMCを務める『孝太郎Wキッチン』ではレギュラーアシスタントとして起用され、後番組の『孝太郎が行く2』で共にホストを2番組での通算1年間務めた。兄弟のような仲でありお互いの家族も顔見知り。お互いの家で野球観戦をしたり語り合ったりと、本音をぶつけ合う仲でもある。上地は小泉に対して「男として本当に尊敬している」と公言。小泉は「雄輔には全部ぶつける」とも語っており、「お前が女なら抱きしめてる」と言ったという。 * つるの剛士、野久保直樹、里田まい、スザンヌ、木下優樹菜 『クイズ!ヘキサゴンII』で『羞恥心』というユニットを結成している。『羞恥心』・『アラジン』のメンバー(「後述2」)。 上地は本人に会う前から「つるのに似てる」と言われ、つるのも著書に「自分そっくりだ。」と綴っている。つるのの家族と共にご飯を食べに行くこともあり、子供たちはとても上地になついている。また、女子3人とも「ヘキサゴン」以外で共演する事も多い。 * 小栗旬、やべきょうすけ、山田孝之、高岡蒼甫、高橋努 小栗旬とはデビュー前からの友人で、ドラマ『ごくせん』、映画『クローズZERO』などで共演した事から仲が良くなった。また、誕生日はいつも祝ってくれるという。お互いの家族も顔見知りである。やべきょうすけは、上地が「男の中の男!」とも語っている、兄貴的存在。映画『クローズZERO』の撮影中、東京で仕事がないときは、大阪で仕事のみならずプライベートでさえもこの面々とずっと一緒にいた。 [編集] 受賞歴 * 松坂軍団対茨城ゴールデンゴールズ:MVP * ギネス世界記録:「世界で最も1日の閲覧ユニークユーザー(重複しない人)数が多いブログ」(1日23万人観覧)として認定 * オリコン:「肝試しでペアになりたい男性芸能人」一位 * FNS5000番組10万人総出演 がんばった大賞:2008年秋MVP [編集] エピソード * 高校時代、急所を守るカップを忘れたとき、何を思ったか石鹸のふたでガードしていた[7]。 * 自転車の鍵のかけ忘れが多く、今まで盗難にあった自転車はかなりの数。それが『ジョニー1号』・『ジョニー2号』・『ジョニー3号』である。三台目に到達したときから絶対に鍵をかけ忘れないようにすると誓った。[2]。 * 寝ている時、自分の大笑いしている声で起きたことがある[2]。 * ランニングをしていた時、6年ぶりに会った『ごくせん』の時のスタッフにジュースを奢ってもらい、洋服のデザイナーに120円を貰い、知り合いに「ウコンの力」を貰い、DJをやっている先輩にCDを二枚貰った。その後も立て続けに、岡田太郎から120円を貰い、クリーニング屋のおばさんにヨーグルトを貰うという出来事があった[2]。 * 有名な占い師に前世を見てもらったら「クーラーのリモコン」と言われた。また、「あなたに来世は無い。あなたの代で終わりだ。」とも言われた。 * 高校時代、「Repeat after me.」を「リピートあんた言ってみ」と勘違いしており、隣の子が正しい意味を説明してくれたという。 * 幼少時代、愛犬に「鈴木さん」という名前をつけた。しかしその後突然姿を消したため、名前を呼びながら町中を探し回り、その結果町中の「鈴木さん」が寄ってきてしまった。 * 小中学校時代は学業面等ではかなりの問題児だったようで、親は大分、学校に呼びされてた[8]。 [編集] クイズ!ヘキサゴンII 初出演は2007年6月27日放送分。同局『スリルな夜・子育ての天才』の撮影時にスタッフに普段の面白さを見初められ、番組宣伝もかねての出演であった。この回の予選ペーパーテストで、初出演にして最下位となった(ちなみに、街角予想は12位であった)。またクイズ本編では珍解答を連発したり前の問題の答え「フランクフルト」が頭に残り、ヘキサゴンコールの際にフランクフルトの「フランク…」と言いかけてしまい、司会の島田紳助から「メジャー級のアホ」と評された。その後すぐに準レギュラーとなった数少ない人物でもあり、里田まい、つるの剛士、木下優樹菜、スザンヌ、野久保直樹と共に「ヘキサゴンおバカ6人組」と呼ばれるようになり「おバカキャラ」としてバラエティ番組への出演が増えるようになる。 2007年9 月頃から出演回の最下位をほぼ独占しており、里田、スザンヌに代わって新たな最下位常連となる。またクイズ本編でもなかなか答えられず「行列早抜け!リレークイズ」では優勝チームが決まった後も彼のためだけにクイズを続ける事もしばしあった。里田の記録を抜き最下位総数のトップ(22回)となるが、2008年下半期頃からは自身の点数の向上により以前に比べると圧倒的に最下位になる事が減り、現在では点数の下降した里田、木下、misonoが最下位争いの中心となる。2008年7月26日のFNS27時間テレビ!! みんな笑顔のひょうきん夢列島!!内でのスペシャル放送分では明石家さんま率いる『パーでんねん軍団』の予選ペーパーテストの成績が悪かった影響で12位と初の中位入りを果たした。そして、同年2月頃から二桁の足し算と引き算の早さが人並み以上であることが判明。確立の問題は野球の打率に例えたりと、島田紳助によって命名された「上地式」の計算方法で成績を伸ばした。 番組内では共演機会の多いつるの、野久保と共に「イケメンおバカ三銃士」の愛称で呼ばれる。その後、2007年8月1日放送分の「アナウンスクイズ」で、上地が羞恥心を「さじしん」と読み、正解を教えられても理解できなかったことから、その日から3人のユニット名は「羞恥心」となった。羞恥心の「心」と呼ばれるようになったのは番組内で羞恥心が誕生した直後紳助が「お前ら三人(つるの、野久保、上地)は羞恥心や」と言い、つるのがスザンヌから「羞」と囃し立てられた事から、上地に向かい「心」と言ったことが始まり。その後、残った形で野久保が「恥」となった。2008年3月5日放送分でデビュー曲「羞恥心」を披露し、レギュラーとして定着する。 同年10月4日のヘキサゴンファミリーによるコンサートでは、自身がこのコンサートのために作詞した楽曲「ひまわり」をソロで歌った。2009年3月11日にはこのひまわりをCD化する。
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2009年01月05日(月)21:22
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